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【SF名作紹介】『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』で考える「人間らしさ」

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今回は映画『ブレードランナー』の原作としても知られるフィリップ・Kディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を紹介していきます!

まあ実際は映画と小説はかなりストーリーや展開に違いがあるみたいですけど。

また、かなり特徴的なタイトルなので聞いたことがある人も多いかもしれないですね。

この小説の内容を一言で表すと「人間のふりをしているアンドロイドを探して倒す」という内容です。

そんな人間とそっくりなアンドロイドが登場する中で、人間と機械の違いって何なんだろうみたいなことがテーマになっています。

というわけで今回は「結局『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』ってどういう話なの?」というところを語っていきたいと思います。

あらすじ

時代は未来です。

地球が放射能に汚染されて人類のほとんどは火星に移住しています。

地球にいるのは放射能の影響で遺伝子に異常をきたした人や頭がおかしくなった人です。

そして放射能の影響で地球上の動物もほぼ絶滅してしまって、貴重な存在になっています。

地球人にとって本物の動物を飼うことは一種のステータスです。

ですが主人公はお金がないのでロボットの模造の羊(電気羊)を飼っています。もちろん近所の人には内緒で。

そんな中、火星の最新アンドロイド8体が地球に逃げ込んできます。

人間の管理外になったアンドロイドは社会の脅威と見なされるので、警察はアンドロイドを廃棄処理することになりました。

2体は直ぐに処分されたんですが残りの6体がカリフォルニアに逃げ込んだという情報が入ります。

そしてバウンティ・ハンターである主人公が懸賞金がかけられた残り6体のアンドロイドを探し出して処分することになります。

しかし、アンドロイドを探し処分していく途中で機械であるアンドロイドに感情移入(欲情)してしまいます。

アンドロイドを破壊しなければならない一方でアンドロイドを人間として捉えてしまっている自分に気づき悩みます。

そんな不安定な精神状態のまま何とか全てのアンドロイド全てを処分します。

そうやってアンドロイドを追い詰めていく過程で主人公の「生」に対する考えが変化していく、という物語です。

時代背景

まあ、この『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』が出版されたのが1968年と言うことで、1960年代といえばベトナム戦争の真っ最中です。

しかも1962年にはキューバ危機というアメリカとソ連が核戦争する一歩直前まで緊張が高まった事件もありました。

てな感じで反戦や核兵器廃絶運動が盛んだった時期でもあります。

なのでSFにも、核戦争やそれに伴う放射能の恐怖が描かれているんでしょうね。

まあ、今核戦争が起こることはあまり考えられないですよね。

やっぱり小説にはその時代が反映されるんでしょうね。

アンドロイドとロボットの違い

ここでアンドロイドとロボットの違いについて触れておきます。

簡単に言えばアンドロイドは人間に似た姿のロボットです。

そしてこの作品で登場するアンドロイドはほとんど人間と見分けがつきません。

外見、動作も人間そのもので呼吸もします。

一人で考え判断し、人間と問題なく会話できます。

もちろん自我も持っているわけです。

主人公はこの人間にそっくりのアンドロイドを判別しないといけないわけです。

そこで用いられるのが、感情移入度を調べる方法です。

具体的には「あなたは人間の皮で作られたバックを貰った」みたいなショッキングな質問をして、それに対する体の微細な反応を計測するという方法です。

また、この世界では生き物がとても貴重なのが影響して人々は宗教的な動物愛護の精神を持っています。

なので、動物に関する質問もしたりします。

そして、アンドロイドは感情移入ができません。

その「感情移入ができるか」が作者のディックが考えた「人間とロボットの違い」なんですよね。

物語のテーマ

というわけでこの物語のテーマは「人間とロボット(機械)の違い」です。(あくまで僕の主観ですが)

つまり、
感情が欠落したサイコパス的な人は人間と呼べるのか?

普通の人間であっても、どこか人間的ではない部分があるのではないか?

我々は機械的な社会の中で人間の心を失ってはいないか?

というような問いかけでもあったりします。

そして、そもそも主人公がアンドロイドを処分できるのはアンドロイドを生き物として見ていないからなんですよね。

ですが主人公は、アンドロイドに対して欲情してしまっている自分自身に気づきます。

最終的には、アンドロイドも誰かを愛することはあるし、機械の模造動物にもわずかに生命があるかもしれない、という考えに至ります。

というわけで「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」というのは、人間が羊を飼うことを夢見るようにアンドロイドも電気羊に共感というか仲間意識のような感情移入をするのか? という意味にも取れますね。

VTuberという存在

ここ数年でバーチャルユーチューバーと呼ばれる人たちがメジャーになってきました。

バーチャルユーチューバーというのはコンピュータグラフィックスを用いて動画配信を行っている人、キャラクターの総称です。

略してVTuberなんて言ったりします。

まあ、色々と好みが分かれる部分ではありますよね。

「どうせ中で人間が動かしてるだけでしょ」と思う人がいるのも無理はないと思います。(中の人はいない、と主張するVTuberもいます)

言ってしまえば、やってることは遊園地の着ぐるみと同じです。

で重要なのが、視聴者は中の人ではなく「キャラ自体」に魅力を感じている、という点です。

厳密に言えば「外見が3Dモデルのアバターで活動している中の人」というキャラですかね。

最初のキャラ設定が迷走していったり、中の人の私生活の話をすることがあったりしますが、同じことをリアルの顔を公開して活動していたら同じように人気が出るかは疑問ですよね。

また、VTuberは別に「中の人」と外見や性別が違っても問題はありません。

いわゆる「バ美肉おじさん」と呼ばれる美少女のアバターを操作するおじさんもいます。

まあ、男声のままやる人もいればボイスチェンジャーで声を変える人もいるそうですが。

ともかく、画面に映っているアバターは可愛いアニメキャラなのに、中身はおじさんさんです。

そして視聴者はそれを受け入れた上で「可愛い」と言うんです

これこそ、この作品で語られている「人間らしさ」ですよね。

この作品で主人公はアンドロイドに対して恋愛感情(性的な感情)を持ってしまいます。

そこで主人公は自己嫌悪に陥るわけですが、こう考えてみると意外と自然というか人間らしいですよね。

仮定の話ですが、いわゆる現在のVTuberの中身は人間で間違いないでしょう。

ですが、もしそれが実はAIだったらどうなりますかね。それでも人間はVTuberに魅力を感じてしまうんじゃないんですかね。

まとめ

というわけで今回はフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』を紹介しました。

結局どういう話かというと、脱走したアンドロイドを処分していくという話です。

人間もアンドロイドも、人間的な側面もあるしアンドロイド的な側面も持ってるよね、という感じです。

今回は触れなかったんですが、マーサ教や共感ボックスといったものも物語に結構関わってきますので、是非原作を一度は読んで欲しいです。

僕は同じフィリップ・K・ディック作の『流れよ我が涙、と警官は言った』も読んだことがあるのですが、それよりかは読みやすい作品だと思います!




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