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【解説】意外と奥が深い「鉄条網」の歴史

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今回は意外と奥が深い「鉄条網」の歴史を紹介したいと思います。

鉄条網というのは、トゲの付いた鉄製のワイヤーです。有刺鉄線とも言われたりします。

刑務所や国境の壁に設置されている映像や写真を見たことがある人も多いと思います。

前『1917』という映画を見たんですが、それで第一次世界大戦のことを調べていたら、なかなか面白い鉄条網の本を見つけたんですよね。

映画『1917』についての記事はこちら

閑話休題、鉄条網について語っていきたいと思います。

鉄条網の発明

鉄条網は材料が鉄ですから当然産業革命以後に発明されたわけです。

まあ、フランスとアメリカでほぼ同時期に発明され、アメリカでは1867年に最初の特許が認められました。

鉄条網の構造

鉄条網の構造といっても色々と種類があります。

初期の鉄条網は上の画像のようなもので、斜めに切断したワイヤーを巻いて、それを2本のワイヤーでよじることで固定しています。

1本だとトゲが固定されないですし、2本にすることでワイヤーの柔軟性も上がります。

発明の背景

鉄条網が発明された大きな背景としてアメリカの西部開拓があります。

当時のアメリカは西部開拓の真っただ中で開拓民が西へ西へと進んでいきました。

そして開拓した場所で農業やら牧畜を始めたのですが、ここで問題になったのが深刻な柵不足です。

畑や牧場を囲うために大量の柵が必要になったわけです。

当時もっとも普及していたのは普通の木柵です。

とは言うものの西部開拓の舞台になったアメリカ中部の大平原(グレート・プレーン)には森林が少なかったんですね。それで利用できる木材も少なかったのです。

さらに、急激に開墾しまくったために森林も消えて木材も高価になりました。

でまあ、木の柵も設置したり修理したりするのが大変だったので、安価で効果的に大面積を囲う柵が切望されていたわけです。

鉄条網の利点

そんな中、鉄条網が発明されたわけですが、これが農民にとっては最高な製品だったんですね。

鉄条網自体、鉄のワイヤーに鉄のトゲをつけただけというシンプルな構造だったんですが、軽くて、安価で、動物の侵入を簡単に防げて、さらに修理も簡単ということで爆発的に広まっていきました。

1871年に西部の土地1エーカーをフェンスで囲うのに3.23ドルだったのが、鉄条網が普及した1897年になると1エーカーあたり2ドルにまで値を下げました。

自然を変えた鉄条網

姿を消したカウボーイ

アメリカの西部開拓といえばカウボーイが馬に乗って投げ縄を回しながら牛を追いかける、みたいな情景を想像すると思います。

とは言っても、実際はカウボーイはすぐに姿を消しました。

開拓農民が鉄条網で土地を囲いまくったせいです。

それでカウボーイが放牧できる土地がどんどん少なくなったわけです。

放牧をしたいカウボーイと牧場主や農民との間でトラブルはありましたが、最終的にカウボーイは職を失うことになりました。

自然破壊の引き金になった鉄条網

鉄条網によって土地の管理コストが下がるにしたがって農場や牧場が急激に広がりました。

牛肉の需要が高まったことも影響して牛の飼育数も増えていったんですが、そのせいで牛が土地の草を食いつくしてしまうようになります。

そうして鉄条網で囲われた土地は植生が失われ、裸地になりました。

さらに20世紀になると畑では農業機械の導入によって土地がどんどん痩せていきました。

機械で草地を根こそぎ掘り返していったからです。

草が生えなくなった土地では雨によって表土が流出してしまいました。

アメリカへの大打撃

こんな、土地がボロボロになるまで農業や畜産が盛んになったのには理由がありました。

第一次世界大戦です。

第一次世界大戦によってヨーロッパの農業生産が大きな打撃を受けました。

さらにロシア革命によってロシアの小麦が市場に出回らなくなったことで、小麦価格が高騰することになりました。

そんなわけで、ヨーロッパは小麦・牛肉をアメリカから輸入せざるを得なくなったわけです。

こんな状態なんで、アメリカの農家は非常に儲かりました。それで新規参入者も増えました。

まあ、それも長く続きませんでした。

ヨーロッパが復興するにしたがって輸出が減り、そんな中生産量は増えていたわけですから価格が暴落しました。

ただ、農民は農業機械を買うためにした借金が大きな負担になりました。

農民は収入の低下を増産で補おうとさらに作付けを増やしてさらに価格が下がるという悪循環に陥るというね。

穀倉地帯のアイオワ州では石炭よりも安いという理由で、小麦を燃やして暖をとっていたそうです。

さらに不幸なことに世界恐慌が起こります。

これで不景気になるわけですが、それだけでは終わりません。

ダストボウルと呼ばれる巨大な砂嵐が発生しました。

土地を酷使した結果、大量の土壌が流出して砂嵐が起こりやすくなっていたんです。

それまでアメリカは土壌の流出に対して何も対策してこなかったんですがね。

このダストボウルによってアメリカの農業は壊滅的な被害を受けました。

1938年までにグレートプレーンの農民350万人が土地を放棄しました。

戦争を変えた鉄条網

1867年に農地や牧場を囲うために発明された鉄条網ですが、1880年頃には戦闘用の鉄条網が開発されることになります。

実際に戦争で初めて鉄条網が使われたのは1889年のアメリカ・スペイン戦争です。

義勇兵として参加した農民が大量に保管していた鉄条網を利用したのが始まりです。

でまあ、かなり有効だったわけです。

軽くて大量に運搬できる、非常に安価、爆風も受け流す、視界も遮られない、といいことずくめでした。

さらに、機関銃の発明が鉄条網による防御をより強固にしました。

日露戦争で日本軍は大量の死傷者を出しましたが、そのときロシア軍は鉄条網を使って陣地を構築していました。

もちろんその奥では機関銃を構えています。

そこへ日本軍が白兵戦に持ち込もうと突撃したところ、鉄条網で身動きが取れなくなり、機関銃に狙い撃ちにされました。

てな感じで日露戦争の被害は鉄条網によるものが多かったわけです。

そして、その日露戦争を観戦していた各国は鉄条網の有効性を改めて認識したわけです。

第一次世界大戦

鉄条網の戦争と言えば第一次世界大戦です。

両軍が鉄条網と機関銃で陣地を守り、その機関銃から逃れるために全長何千キロもの塹壕が掘られました。

両軍とも攻撃すれば大量の被害が出るため、戦争は膠着状態になり、戦法も従来の突撃による肉弾戦から、長い間砲火を浴びせて疲弊させる消耗戦へと変わりました。

そして鉄条網と塹壕を突破するために戦車が開発されたわけです。

まあ、第一次世界大戦では目立った活躍はできませんでしたが。

現代の鉄条網

発明から100年以上経った鉄条網ですが、現在もほぼ同じ形で使われ続けています。

鉄線をとがらせただけだったトゲも今は剃刀状のものに変わっています。

そして現在の主な用途は人を分断する事なんですよね。

国境の壁、刑務所、収容所など空間を遮断することに関して鉄条網の右に出る物はありません。

紛争や対立があるところには必ず鉄条網があるのが現状です。

まとめ

今回の記事の内容をまとめると、1860年代に農地を楽に囲うために発明された鉄条網は自然環境や戦争を変え、現在でも"分断"するために使われている、という感じです。

鉄条網は非常にローテクな発明品ですが、意外と世界に大きな影響を与えているんですね。

今回記事を書くにあたって『鉄条網の歴史』石弘之・石紀美子著を参考にしました。





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